3月6日(金)
外科の仁田先生の初診。予約は取っていなく(初診でも予約が取れると知ったのは後日),10時頃到着。雨降りなのですいているかと思いきや,大繁盛。外科の診察室は内科よりも少なく,待合所も狭いため,人口密度は内科以上。有野先生からの紹介状を提出してしばらくすると,お決まりの,若い先生による診察前面談。待つのはもとより覚悟の上だが,待合所から一向に人が減らない。「あたしは10時の予約なんですよ」と言っていた方が診察室に入っていったのが,11時45分。午前中の診察時間が終わってしまうのではないか? 待合所に掲示されている張り紙には,「なるべく予約時間の1時間以内にお呼びできるように努力しておりますが,遅れる場合もございますので云々」と書いてある。はじめから,1時間の遅れは折り込み済みなわけか。ここで,とんでもない自分の愚かさに気付く。実は,自分を執刀してくれるかもしれない先生に初めて会うというので,質問を山ほど用意してきたのだ。しかし,こんな質問を全部していたら,おそらく40~50分はかかってしまう。時間を計ってみると,診察時間は一人平均7分ほどである。こちらは初診で命がかかっているのだから,多少周囲に迷惑をかけてもいいだろうと居直って,長時間診察室に居座る,という選択ができないのが,悲しい日本人の性。急遽,質問を1/4程に絞り込む。俗に,「3時間待ちの3分診療」などと批判される大学病院ではあるが,これは病院側の非ではなく,大した病気でなくても大学病院へかかりたがる患者の責任だろう。それに,皆が大学病院へ押しかけてしまうというのも,誰でも平等に高度医療を受けられるという日本の良い面の裏返しでもあるわけだし。ただ今回は
弁膜症程度だから良いが,もっと深刻な病気で,どうしても医師と時間をかけてじっくり話がしたい場合にはどうしたらよいのだろう??
そんなこんなで,順番が回ってきたのは12時45分頃だっただろうか。本来ならもうとっくに午前の診療が終わって,そろそろ1時からの午後の診療が始まる時間だ。なるべく短時間に多くの事を聞きたいと焦り,どうしても早口になってしまい,矢継ぎ早に質問を繰り出してしまう私だが,それに対して,仁田先生は嫌な顔一つ見せず,落ち着いた物腰で丁寧に答えてくれる。まず聞いたのは,
心房細動手術についてである。
心房細動を治す手術の方法には大別すると,切ったり焼いたりする部分が少ない順に,(1) 肺静脈隔離(これならカテーテルアブレーションでも出来る),(2) 左房だけに限る
メイズ手術,(3) 完全な
メイズ手術(仁田先生の場合は
ラディアル手術)とある。このうち,どれをやるのか? 前にも書いたが,不必要に心臓を切り刻んでほしくはないが,かといって,せっかく開胸手術をするのに,
心房細動が残ってしまったらもったいない。これに対する回答は「今,検査結果が手元にないので,断定的なことは言えないが,(2)の左房
メイズ手術は,手術に要する時間が(3)のフル
メイズ手術とほとんど変わらず,左房だけにとどめる意味があまりないので,おそらくやらない。
心房細動の手術によって,回復までの日数が伸びると言うことはない。」というのもであった。「今,検査結果が手元にない」と聞いて,「えっ,検査結果が内科から外科に回ってないって何故? 今日,俺は何をしに来たんだ?」と思ったが,気が急くので,次の懸案である
ポンプヘッドについての質問に移る(2009年2月27日の記事「
ポンプヘッド」には,追記を入れた)。これに対する回答は「血液中に気泡が入ったりしないよう,丁寧に手術をすれば,問題ないだろう。アメリカ人は少しぐらい気泡が入ってもあまり気にしないところがあるが,その点では日本人の方が丁寧にやる傾向にある。そのせいか,あまり日本では問題になっていない」とのこと。これを聞いて「安心した」とはならないが,今,この問題をこれ以上心配してもしょうがないので,これで終わりにする。また,紹介状を書いてもらったというだけでは完全には安心できなかったので,念のため仁田先生に執刀してもらえるのか確認する。というのも以前,歯槽骨の中に完全埋伏している永久歯の抜歯を近所の歯医者で勧められ,紹介状を書いてもらって,公立病院の口腔外科に行ったことがあるのだが,紹介状には先生のAという名前が明記されていて,そのA先生の診察を受けたので,当然,A先生が執刀してくれるのかと思っていたところ,いざ手術となったら,突然,若い研修医のような女医さんBが現れて,そのB先生が手術を始めたことがあるのだ。当然局所麻酔で意識はあるわけだが,執刀しているB先生の脇で,指導するA先生が「あーダメ!そうじゃなくて・・・」とか「おー,そこ逆,逆!」とか言っているのを聞いていると,生きた心地がしなかった。(ただ,結果的には,B先生は上手だったのか,術後の痛みもほとんどなく,めでたしめでたしだった) そんなこともあるので,一応,仁田先生に執刀してもらえることを確認した上で,手術の日取りを決めてしまう。7月の初めまでは仕事が詰まっていたので,その仕事が終わり次第,入院して1週間後ぐらいにあたる7月13日か14日に手術ということになる。そうすれば,9月には仕事に戻れるという有野先生と同じ見立て。初対面の私にプライベートな話をしてくれたりして気さくで物腰が柔らかい感じだが,言葉の端々に自信が伺える先生だった。
こうして診察室を出てきたら,午後の診察開始時間1時をとっくに過ぎている。待っている患者はまだ大勢いるし,一体いつ終わるのだろう? それはさておき,私としては手術も本式に決まり,仕事が出来るかどうかの返事を待ってもらっていた関係先に,7月8月はこういう事情で出来ないという連絡も済ませ,近くの喫茶店で昼食をとりながら,心からホッとしていた。思えば,この一月,自由になる時間のほとんど全てを
弁膜症関連の調べ物のために費やしてしまい,そろそろ疲れてきた頃だ。やることはやって,もう決定したのだから,後は医師におまかせ,自分はまな板の上に乗るだけだと開放感に浸っていた。これにて一件落着。そんな気分だった。
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